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Suicide Customs inc

Category : talk to oneself

HOT BIKE JAPAN...



What I am about to write here may not be very pleasant to those who were really close to him. Because we weren't particularly close to him. However, I would like to tell everyone that Japan has lost some great journalist as well. I would like to quietly write down here a small incident between us and him.

こういうことは、本当に仲の良かった人達からしたら反吐の出るような行為であるし、Koh自身も大変嫌うので、書こうか、書くまいか、何日も悩みましたが、ここに静かに書き留めたいと思います。


20170322


That was back in 2016. Koh won the freestyle at the AMD World Championship in Germany. Until then, Koh had consciously avoided participating in custom bike shows in Japan, but after this event Koh decided to participate in Yokohama. However, Koh at that time was younger than he is now, and he was much more nervous and edgy than he did not participate and entrusted the RUMBLE RACER, to take, who had been Koh's right-hand man Yuuki for many years. When Yuuki arrived at the venue and took the RUMBLE RACER out of the van, a man came running up to Yuuki. He said. Did you make this?! Yuuki replied, no way. Then he laughed and said yes. After that, he immediately came to Suicide Customs for an interview.

あれは遡ること2016年。KohはドイツのAMDワールドチャンピオンシップのフリースタイルで優勝しました。それまで日本のカスタムショウに参加することから意識的に遠ざかっていましたが、このことをきっかけに以前からずっと応援してくれていたムーンのM氏へのお礼と感謝の気持ちを込めて横浜に参加することにしました。けれど、その頃のKohは今よりも若く、今よりもずっと神経質で尖っていたのでKoh自身は参加せず、長年Kohのライトハンドメンである伊達君にRUMBLE RACERを託しました。会場に到着してバンからRUMBLE RACERを下ろすと、一人の男性が駆け寄ってきました。そして、「ねえ!これ、君が作ったの!?」 とものすごくビックリした顔で聞かれたそうです。「いえ、違います」 と伊達君が答えると、「だよね~」 と言われた、と伊達君が笑って話してくれました。その後、その人はすぐにスーサイドまで取材に来てくれて、そこで初めてKohは沢山のことを質問されて、丁寧に答えました。


Koh joked that even though this bike won the world championship, it didn't win in Yokohama. Then, with a carefree expression on his fase, he laughed and said, "That's true. If something like this won, everyone would be pissed!!" When I heard his words, I felt that he was a very trustworthy journalist. I didn't sense industry politics or social factors from him.

「これ世界で優勝したのに横浜では優勝できなかったんですよ」 とKohが冗談のつもりで話したら、飄々とした顔で、「そりゃそーでしょ、こんなんが横浜で優勝したら皆んながしらけちゃうじゃん!」 と笑っていました。私は、あーこの人は色眼鏡無しでKohのつくるもの、つくりだしたいもの、そしてKohという人を面白がってくれるジャーナリストなんだ、と嬉しかった。それはとても有り難かったし、口先だけではない真の平等を感じました。私はこの日のことがずっと忘れられない。



IMG_1400.jpg


After the interview, we saw an article about the HOT BIKE that was released and we were very surprised. This is because our RUMBLE RACER was also featured on the top page. The bike that won in Yokohama was introduced on the next page.
This may just be a coincidence, but we also received a massage from he. In the 8 years since then, I have completed a SPEED STER & TRIBUTE HARMAN, but I was never able to get him to see it. That's very unfortunate and lonely. This is a small memory of Shin Ikeda and Koh, editor-in-chief of HOT BIKE JAPAN, who recently departed for heaven.

発売されたHOT BIKEの記事を見て私達は大変驚きました。RUMBLE RACERがトップページで紹介されていたからです。横浜で優勝したバイクは後のページでした。これはただの偶然なのかもしれないけれど、Kohは池田氏からのメッセージだと受け止めました。あれから8年の間にSPEED STERとTRIBUTE HARMANを完成させたけれど、2台ともアメリカに置いてあるので見てもらうことが叶わなかった。それがとても残念で、淋しいです。













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Alan Sputhe.






スーサイドを始めたころ、いや正確にはスーサイドを始める前からKohが頭の中で組み立てていたカスタムがある。スーサイドを始めた途端に想像していたよりも仕事が忙しくなってしまって、結局未だに完成していないのだけれど、それはKohにとって大変思い入れの強いものでした。泣く子も黙るアラン スピュースから創り出される部品に魅せられたKohは直接Sputhe engineeringにコンタクトを取りました。けれど彼はすでに部品を製作できる健康状態ではなくなっており、彼の娘さんがアランに代わりKohに大変親切にしてくれて日本で暮らす名も無いKohの許へいろいろな部品を送ってくれました。そしてそれからしばらくして彼は天国へ旅立ちました。



sputhe




ある日、その一部を譲ってくれませんか?と問い合わせが届きました。Kohはしばらく悩みましたが、譲ることに決めました。Kohとふたりで梱包しながらセンチメンタルな気持ちになった私は、「本当にいいの?」と聞きました。するとKohは言いました。

「もうきっとこの部品は手に入らないと思うんだ。だから俺もすごく迷ったけど、でも何かさ、神様に、もう誰かの作ったものでカスタムしなくていいんだよ、だってお前はもう自分で作れるだろ?って言われてるような気がしたんだよね。だからもういいかな、て思ったんだ。」


あー、もー、泣けるなー。



sputhe



Alan Sputheという天才が創り出したものを分解して構造を勉強して組み立てて研究して、今までどれだけのことを学ばせてもらっただろう。今Kohが製作している横ハーマンも、天才ジョン ハーマンをトリビュートして作っているわけですけど、天国なんてきっとナイだろーし、死んだらそこでお終いなんだろーけど、もしも、もしもだけど天国があって魂が彷徨っているとしたら、たぶん二人は喜んでくれるんじゃないかな。











thunder bird.





thunder bird



貝殻と石を合わせて真珠に変えるの。
We take the gravel and the shell and we make a pearl.








Cyril Huze.




夕食の準備をする。体のことも考えて健康に良さそうなものを用意するんですよ、一応ね。それなのに、「あのね、俺は自分の好きな時に好きなものを食べたいんだ。俺は123にそーいうことを求めてない。頼むから俺を型にはめようとしないでくれー!」と訳わかんないとこで怒るんです。もうずっとこんな調子だから私もいい加減あきらめればいいんだけど、気になるじゃないですか。やっぱりこの人にはいつまでも元気でバイクをカスタムしていて欲しいし。
寒い夜に熱々のおでんを作ってもコンビニに冷めた弁当を買いに行くような人なんですよ。いくらなんでもひどいでしょ?普通だったら離婚なんでしょーけど、結婚してないもんだから夫婦喧嘩ってのもできない。


ねえ、あなたってさ、私に何を求めてんの?と聞いてみた。そしたらね、ニクイ返事が返ってきました。
「俺はね、123にバイクの世界をもっと俺と一緒に知って欲しいんだよ。ただそれだけ。」
ふーん。で、あなたはどうなりたいわけ?
「俺は俺の尊敬する人たちに俺の作ったものを認めてもらいたい。それが俺の望みであり夢だ。」 だって。



20201214



だからね、ひょんなところでKohの制作したカスタムバイクの記事を見つけると、とっても嬉しいし、書いてくれた人に心の底から感謝するんです。Kohの創ったものに気づいてくれて有難う、見つけてくれて有難う、評価してくれて有難うございます、て。










Arlen ness.




「Kohはアーレンに逢ったことあるんだよね?」


「うーん、見たことはあるけどあれは逢ったことにはならないよね。逢うっていうのはわざわざその人のために時間を割くってことだろ?俺はただ見かけたことがあるってだけ」


ふーん.・・・、Kohのフィロソフィーってのはこういうときに強く出てくる。



今から話すことはもう20年以上前の話なので、かなり曖昧な部分もあるし間違ってることもあるかもしれませんが、よかったらお付き合いを。当時から記念撮影嫌いというか、どんなに憧れ尊敬する人に会っても自分から声をかけて近づくことが苦手なKoh。そんな偏屈な性質ゆえに記憶以外の記録がどこにも残っていない。なのでKohの頭の中の記憶をたどるしか方法がないのだが、経験した本人には鮮明に残っているであろう記憶も、その時間を共有していない私には想像することすら難しい。どこへ行くにも独りぼっちだったKohの当時のアルバムを一緒に見返しながら、「あの頃はさ~」なんて二人で話せたらどんなに楽しいだろう・・・と今になって思う。あー残念でならない。


Kohがまだ10代だった頃、東京でモーターショウがあって(ショウの名前を失念)観に行ったKoh少年。今となってはその夢のような豪華さが信じられないのだが、そのショウにはネス本人とネスのカスタムバイクが5台ほど招待されて来ていた。その中にはあの泣く子も黙る名作TWO BADも展示してあったのにKoh少年は、「なんだよ、傷だらけじゃねーか」と大して興奮もしなかったんだって。「あんなものを見せられてもその価値がわからないんだぜ?考えられるか?それだけ俺が何も知らない何も分かっちゃいない無知な子どもだったってことだよ」あの頃の自分を振り返ると、ものを見る力の無さに唖然とするらしい。ものを見る力も考える頭も、本当に子どもだったんだなあ、と思うんだって。

そして時は過ぎ26歳になったKoh青年はアメリカへ。ラフリンリバーランでもネスを見かけた。まあ大きなショウやランに参加すれば有名人の一人や二人くらい見かけるだろう。そのときもそうだった。そしてそれらはいつもKohを興奮させなかった。

アメリカでのKohはそれはそれはお金が無くて、何かの冗談か?てくらいお金が無かったらしい。だけど少しの技術と知識を持っていたから、誰かが長いランに出るときにはトラブルがあったときのために修理担当として同行させてもらえるラッキーな仕事に巡り会うことが時々あったんだって。2001年のレッドウッドランもそういう経緯だったらしい。ここでもKohはネスを見た。でも今までの「見た」や「見かけた」とは全然違う、ものすごい強烈な見方をした。どこまでも続く砂漠の中を走っていたら向こう側からイエロー色のTシャツを着た大勢が走ってきてすれ違った。時間にしたら何秒?てくらい。でもその一瞬で、先頭を走っているのがネスパトロールに乗ったネスだとすぐに気が付いて全身の鳥肌が立って大興奮したんだって。そしてネスの後ろを走っていたイエロー色の集団は、あのハムスターズだった。これがKohがネスを見かけた最後になってしまった。


20190329


20190329




ネスのことをずっと親戚のおじさんみたいに慕ってネスおじさんと呼んでいた(勝手に) 正確にはネスの創り出す全てを心の底から憧れて尊敬して大好きで大好きで大好きで、もうそのネス愛はここには書ききれない。その大きな愛と憧れと尊敬は今ももちろん現在進行形で、今年1月のヴェローナでSTEED STERを見たコーリーとザックに声をかけてもらったときには、人生にこんなことが本当に起こるものなのか?と思ったのと同時に、本当はアーレンにも見てほしかったけど今年は来なかったんだなと少し残念に思っていたけどヨーロッパは遠いから飛行機で長旅するのも年齢的にも大変だろうね、と話していたの。今となっては本当にいろんな偶然が重なって不思議なんだけど、何か思うところがあったのか、ヴェローナから帰国してすぐに自分用のリッパーを作り始めていたKoh。先日もアメリカからそのリッパーに使うカウルが届いて「かっこいいだろ?」と私に嬉しそうに見せびらかしていた矢先の出来事だった。こんなことを言ったらKohにまた、「ただの話を美しい物語みたいに勝手に書くなよ!」と叱られそうだけど、オートバイの神様に導かれたとしか思えないことがKohにたくさん起こったの、20年以上の歳月をかけて。過ぎてしまえばあっという間、それでも長い長い20年だった。何だかしんみりしちゃうけど素敵なリッパーが完成するといーね!



2017ness





この偶然物語はもう少しだけ続きます










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