VIRTUOSO MOTORCYCLES
宮浦氏に出逢う前から私には個人的に大好きなカスタムバイクがあって、日本人が造ったカスタムバイクの中でダントツに一番大好きだったんですけど(もちろん今も)、ひょんなことから仲良くさせていただいて、そこで初めてそのバイクを宮浦氏が制作したと知ってものすっごーくビックリしたんです。それを宮浦氏に逢うたびにしつこく伝えるんですけど、「えぇ~!ほんとに~?そんなふうに言ってくれる人が居るなんてねえ、有り難いねえ。けどさぁ~、ボクのやってることなんて、どろんこ遊びみたいなもんだからさぁ~」 そんな言葉を聞くたびに、うん私、宮浦氏のカスタムも大好きだけど宮浦氏が大大大好き!と心から思うのです。

(勝手に画像を拝借しました。著作権とかあったらごめんなさい)

ミスターサリー氏が突然のサプライズで宮浦氏と一緒にスーサイドに遊びに来てくださって、人嫌いなKohが小学三年生みたいにはしゃぎ狂っていた。まさかの午前二時に解散したあと、「ねえ、俺さ、今まで知らなかっただけで宮浦さんとは血が繋がってるのかもしれない。もしかしたら宮浦さんって俺の兄ちゃんなのかも」 と真剣に話してくるので笑いが止まらなかった。
ミスターサリー氏、そしてミスサリーちゃんも有り難うございました。みんながいつまでもオートバイの近くで幸せに暮らせますように!
これだけ散々私が宮浦氏の大ファンだということを書き綴っていますが、会話の中で宮浦さんのことを宮原さんと呼ぶ失礼な私。前回のブログもボブウエイトとスタティックバランスが頭の中でごちゃ混ぜになって題名が「ボブバランス」になっておりましたのでボブウエイトに訂正しました。嗚呼、自分のこの適当すぎる性格がニクイ・・・
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39' Knuckle head.
mike64287
あなたは今どこにいるの?空の上?それとも星になったの?初めて会ったのは2019年の8月バッファローチップでした。ラッツホールが終わったら撮影させてくれない?と声を掛けてくれて、そして私達は約束の時間に約束の場所へ向かいました。
あなたはその約束の時間よりも早めに、その約束した場所で待っててくれたよね。アメリカ人なのに(笑)
それからその道をどんどん奥へ案内してくれて、美しい森の中の美しいスタジオに私達を連れて行ってくれた。

撮影の間、閑そうにしている私を誘ってくれて一緒に散歩したよね。英語のしゃべれない私に、ゆっくりと丁寧な言葉で優しく話してくれた。人生でこんなにも日焼けしたの初めて!すっごく痛いよー!と言ってたら、「これを塗るとスースーして痛みが和らぐよ!あげる!」と大きなクリームをプレゼントしてくれたね。日本に帰国してから、あなたを想い出すと幸せな気持ちになれるから、朝晩必ず通る階段の所に飾っておいたら腕が当たってクリームが一階に落下して破裂したんだよ。階段や廊下にクリームがベットリ飛び散って掃除するのが大変だった。写真に撮ったから今度逢ったときに見せて一緒に笑おうと思っていたのに。
撮影が終わって皆で話しているときにKohが、えーっとなんだったっけ?あれあれ!と私に聞くから、あーそれはあれだよ!あーそれはこれ!と答えてたら、「君は何でも知ってるね!Googleなの?」てひとりで爆笑しててそれから私のことをずっと「グーグー!」て呼んでたよね。その呼び名をKohが気に入ってて今でも時々私を呼ぶときに使ってるよ。

自称パインコーン収集家の私に、「え?パインコーンを?なんで?うけるー!この山には拾いきれないほど落ちてるよ!」って大笑いしてたよね。とにかく私達はすごく仲良くなってすごく良い時間を一緒に過ごしたんだ。一年後には当然また逢えると疑わなかったし、日本に帰ってきてからも連絡を取り合ってたし、この友情はずっと続くと分かってたから、だから今年また逢えなくてもそんなにガッカリはしなかったんだ。だって来年になれば絶対に逢えると思ってたから。だから、だから突然、あなたが居なくなってしまったと聞いて今も目に涙が溜まるよ。
本当は英語で書かないとあなたが読めないかもしれないけど、私の英語はKoh曰く本当に酷い英語みたいだからGoogleの翻訳を使って読んでね。それとももう読めない?魂もどこかへ行ってしまったの?たぶんそうだよね。でも私はあなたに手紙を書くよ。あんなところにポツンと突然現れたアジア人の私達に愛と尊敬を持って友達になってくれて有難う。あなたを忘れない。あなたの優しさと面白さを忘れない。大好きだよ。

Rest In Peace.
bill wall leather.
「イズミちゃんてさー、長生きしそうだよねー」 とある人から言われたことがある。気を遣いすぎて空回りしまくり話し込んだあとは疲れ果てて寝込むタイプの私は、「そーなんですよ~あはははは~~~」 といつものようにヘラヘラ と笑いながら答えました。
あれは15年前のこと、冗談抜きで一歩も歩けなくなったことがある。台車につかまりながら仕事を続けていたらそのうち片方の足がもう片方の足の二倍くらいに腫れ上がり近くの皮膚科に行った。「あ、これね、毒性の強い虫に刺されたね。この毒がね心臓まで行くとあなた死にます。すぐに大学病院へ行って。」と真顔で言われた。そんなこと言われても仕事を休む訳にはいかない。そのまま仕事に戻って次の日も仕事へ行った。だけどもう台車につかまっても歩けない。また同じ皮膚科へ行った。そしたら、「あなたもうじき死ぬよ?死にたいの?」と叱られて今度は仕事へ戻らずそのまま大学病院へ。駐車場まで自分で車を運転して到着したが、もはや何処につかまっても一歩も歩けなくなっていた。人間の体は不思議なもので片方の足が元気でも、もう片方がダメだと一歩も前進できなくなる。片足ケンケンで行けばいいじゃん!と頭では思うのだがそれが出来ない。一歩も歩けなくなった私は通りかかった年配のご夫婦に「すみません、歩けないので病院の入り口まで行けなくて困ってるんです。」と泣きそうになりながら助けを求めると優しいそのご夫婦はすぐに看護師さんに伝えてくれて私はそのまま車椅子に乗せられ即入院になりました。その日の夜、車椅子に乗る私をKohがお見舞いに来てくれて困った顔をして笑っていました。
それから二年もしないうちに今度は原因不明の病気になり何度も救急車で運ばれ入院しました。そしてまた車椅子生活に。何週間も入院していてもKohがお見舞いに来るのは最初の一回くらい。具合が悪くて何も食べられずガリガリに痩せて血圧が上70下30という看護師さんも驚く数値をたたき出す私に滋養をつけさせようと当時私が大好物だった陳健一直伝というホントかウソかよく分からない油でギットギトのマーボ豆腐を食べさせるために入院先の大学病院から連れ出してくれたのだが、当然のどを通らず。帰りの国道23号線を走るときに夜空に打ち上がる花火を見ながら、一方的な愛情が空振りに終わって不機嫌なKohと具合が悪すぎてフラフラな私は真っ暗闇の大学病院へと戻った。その後も別の病院へ手術の為に再入院。当日病院まで送ってくれたKohには感謝しかないが、仕事の電話がかかってきて、「んじゃ俺行くわ」と病院の入り口で荷物と一緒に置いていかれたことは今でも忘れられない。次の日手術室から出てきてもKohの姿はなかった。ベッドの上で両目の端っこから涙がツーツー真っ直ぐに流れ落ちて耳に入った。
それからも、よく分からない現象が私の体に起こった。そのたびにスーサイドの鉄の階段から落っこちてH鋼に顔面を強打、シザーハンズのジョニーデップのような顔になった。その後もまた落ちて両膝が群青色になるほど強打、突然意識が飛んでは引っくり返る、そして運ばれる。意識が朦朧としたまま点滴を打たれているとKohから電話が鳴り、「入り口が何処だか分からない。何処にいるんだよ?」とイライラされる。私も分からないよ、だって意識ないまま運ばれてきたんだもの。カーテンの向こう側では外国人が医者に「醤油を一気飲みしちゃいけないよ」と注意されている。私はもうこの醤油一気飲み外国人と自分との違いが分からなくなってきて、また両目の端っこから涙がツーツーこぼれて耳に入った。中耳炎になるほど大量の涙が耳に入ったけれど中耳炎にはならなかった。どうやら耳は丈夫らしい。そしてまた不機嫌なKohとスーサイドへ戻り、そして働いた。
そんなことを何年も繰り返していたら、だんだん字が読めなくなってきた。いや文字は読めるんだけど文章が理解できない。スーサイドの経理を任されているのに数字も分からなくなっていった。頭の中が混乱して文字と数字が理解できない。こんなことは生まれて初めてで驚いた。そして私はどんどん役に立たなくなっていった。そんなある年末、免許更新の為に平針試験場へ行った。免許更新の日は決まって献血をする私はいつものように献血するはずだったのに、その日は体重が足りず献血が出来なかった。医者や看護師さんたちが何度も私に謝ってくる。泣けてくるからもうほっといてほしかった。そーかー、私はとうとう私の血さえも役に立たなくなってしまったのかー。情けなくて車の中でいっぱい泣いた。そしてまたスーサイドへ戻り働いた。2019年の冬のことです。
もうこの頃になると働く時間よりもスーサイドの事務所で横になっている時間のほうが長かった。そんな私に満額の給料を払い続けるKohはうんざりして私に怒鳴る。「おまえが寝てるのを見るたびにどれだけ俺のモチベーションを下げているのか分かってるのかー!」 そのたびにまた涙が耳に入っていった。そんなことを繰り返していた私に、冒頭の「イズミちゃんてさー、長生きしそうだよねー」 であった。

そんなパッパララリパッパーな私が今はこんなに長ったらしい文章が書けるようになった。明けない夜はないさ~、というお話の続きはまた今度。