FC2ブログ

Suicide Customs inc

Category : Friend

bill wall leather.







「イズミちゃんてさー、長生きしそうだよねー」 とある人から言われたことがある。気を遣いすぎて空回りしまくり話し込んだあとは疲れ果てて寝込むタイプの私は、「そーなんですよ~あはははは~~~」 といつものようにヘラヘラ と笑いながら答えました。


あれは15年前のこと、冗談抜きで一歩も歩けなくなったことがある。台車につかまりながら仕事を続けていたらそのうち片方の足がもう片方の足の二倍くらいに腫れ上がり近くの皮膚科に行った。「あ、これね、毒性の強い虫に刺されたね。この毒がね心臓まで行くとあなた死にます。すぐに大学病院へ行って。」と真顔で言われた。そんなこと言われても仕事を休む訳にはいかない。そのまま仕事に戻って次の日も仕事へ行った。だけどもう台車につかまっても歩けない。また同じ皮膚科へ行った。そしたら、「あなたもうじき死ぬよ?死にたいの?」と叱られて今度は仕事へ戻らずそのまま大学病院へ。駐車場まで自分で車を運転して到着したが、もはや何処につかまっても一歩も歩けなくなっていた。人間の体は不思議なもので片方の足が元気でも、もう片方がダメだと一歩も前進できなくなる。片足ケンケンで行けばいいじゃん!と頭では思うのだがそれが出来ない。一歩も歩けなくなった私は通りかかった年配のご夫婦に「すみません、歩けないので病院の入り口まで行けなくて困ってるんです。」と泣きそうになりながら助けを求めると優しいそのご夫婦はすぐに看護師さんに伝えてくれて私はそのまま車椅子に乗せられ即入院になりました。その日の夜、車椅子に乗る私をKohがお見舞いに来てくれて困った顔をして笑っていました。

それから二年もしないうちに今度は原因不明の病気になり何度も救急車で運ばれ入院しました。そしてまた車椅子生活に。何週間も入院していてもKohがお見舞いに来るのは最初の一回くらい。具合が悪くて何も食べられずガリガリに痩せて血圧が上70下30という看護師さんも驚く数値をたたき出す私に滋養をつけさせようと当時私が大好物だった陳健一直伝というホントかウソかよく分からない油でギットギトのマーボ豆腐を食べさせるために入院先の大学病院から連れ出してくれたのだが、当然のどを通らず。帰りの国道23号線を走るときに夜空に打ち上がる花火を見ながら、一方的な愛情が空振りに終わって不機嫌なKohと具合が悪すぎてフラフラな私は真っ暗闇の大学病院へと戻った。その後も別の病院へ手術の為に再入院。当日病院まで送ってくれたKohには感謝しかないが、仕事の電話がかかってきて、「んじゃ俺行くわ」と病院の入り口で荷物と一緒に置いていかれたことは今でも忘れられない。次の日手術室から出てきてもKohの姿はなかった。ベッドの上で両目の端っこから涙がツーツー真っ直ぐに流れ落ちて耳に入った。

それからも、よく分からない現象が私の体に起こった。そのたびにスーサイドの鉄の階段から落っこちてH鋼に顔面を強打、シザーハンズのジョニーデップのような顔になった。その後もまた落ちて両膝が群青色になるほど強打、突然意識が飛んでは引っくり返る、そして運ばれる。意識が朦朧としたまま点滴を打たれているとKohから電話が鳴り、「入り口が何処だか分からない。何処にいるんだよ?」とイライラされる。私も分からないよ、だって意識ないまま運ばれてきたんだもの。カーテンの向こう側では外国人が医者に「醤油を一気飲みしちゃいけないよ」と注意されている。私はもうこの醤油一気飲み外国人と自分との違いが分からなくなってきて、また両目の端っこから涙がツーツーこぼれて耳に入った。中耳炎になるほど大量の涙が耳に入ったけれど中耳炎にはならなかった。どうやら耳は丈夫らしい。そしてまた不機嫌なKohとスーサイドへ戻り、そして働いた。


そんなことを何年も繰り返していたら、だんだん字が読めなくなってきた。いや文字は読めるんだけど文章が理解できない。スーサイドの経理を任されているのに数字も分からなくなっていった。頭の中が混乱して文字と数字が理解できない。こんなことは生まれて初めてで驚いた。そして私はどんどん役に立たなくなっていった。そんなある年末、免許更新の為に平針試験場へ行った。免許更新の日は決まって献血をする私はいつものように献血するはずだったのに、その日は体重が足りず献血が出来なかった。医者や看護師さんたちが何度も私に謝ってくる。泣けてくるからもうほっといてほしかった。そーかー、私はとうとう私の血さえも役に立たなくなってしまったのかー。情けなくて車の中でいっぱい泣いた。そしてまたスーサイドへ戻り働いた。2019年の冬のことです。


もうこの頃になると働く時間よりもスーサイドの事務所で横になっている時間のほうが長かった。そんな私に満額の給料を払い続けるKohはうんざりして私に怒鳴る。「おまえが横になってるのを見るたびにどれだけ俺のモチベーションを下げているのか分かってるのかー!」 そのたびにまた涙が耳に入っていった。そんなことを繰り返していた私に、冒頭の「イズミちゃんてさー、長生きしそうだよねー」 であった。



20210213




そんなパッパララリパッパーな私が今はこんなに長ったらしい文章が書けるようになった。明けない夜はないさ~、というお話の続きはまた今度。











スポンサーサイト



ベラルーシからこんにちは





「普通の生活をしていたら普通のものしか作れないんだよ」 とはKohの長年の常套句である。その言葉通りの生活を今も続ける45歳の冬、、、日本の冬って10年前はもっと寒くなかったでしたっけ?凍てつく工場の中、手の神経を全部持っていかれるほど冷え切った金属を切ったり伸ばしたりする作業の中で耳だけはどうしようもなくしもやけになっていたあの冬の寒さはどこへ?これが地球温暖化のせいだったとしたら、私は今世界中を恐怖と不自由に陥れている病原菌よりもずっとずっと怖いと思う。


話を戻しますが、普通の生活って何だろう?夕方になったら家族揃ってテレビ観ながらごはんを食べお風呂に入って眠るとか?日曜日には家族揃って大型モールでお買い物とか?せめてお父さんがいなくてもお母さんはいる、とか?そんな感じだろうか。だとしたらKohはちっちゃいときから全く普通の生活じゃなかった。蕎麦屋を営む家庭に生まれたKohは、早朝から深夜まで働く両親の代わりにばあちゃんの家に弟と一緒に預けられていた。寝たきりで動けないじいちゃんをつねったりつついたりして反射神経でビクッと動くおじいちゃんを見て、なーんだじーちゃん本当は動けるんじゃん!と喜んでいるような子どもだったらしい。聞いた時はサイテーだな、と思ったけれどもしかしたら独りぼっちで蚊帳の中でずーっと天井を見ながら寝たきりだったじいちゃんにとってKohにつねられたりつつかれたりして自分がビクッと動くたびに大笑いしてくれる孫との時間は楽しかったのかもしれないなーと思う。


少し大きくなってくると、もうばあちゃん家には行かなくなり両親の仕事が終わるまで弟と店の上にある住居でテレビを見たりしながら待つようになった。年末になると忘年会で店は団体さんのお客さんでごった返したらしい。両親は子どもの食事の準備よりもお客さんの食事を作ることに必死でKohと弟はいつも腹ペコだった。これだけ聞くと、なんて可哀想な子ども時代かと思うがそこはKohである。忘年会が終わった途端、さっきまでおっさん達がタバコの灰や唾を撒き散らしながら飲み食いしていた残飯を弟と一緒に、「おい!こっちにエビフライが丸々残ってるぞ!」「兄ちゃん!こっちには刺身があるー♪」とか言いながら食べまくるのが最高の幸せだったと言っていた。昭和の時代にはこれが普通だったのかもしれないが、いやでもやっぱりちょっと、いやだいぶ普通じゃないような気もする。少なくとも私は知らないおっさんの残した物を食べたことはない。



とにかくこんなふうに普通じゃなく育ったおかげで今でも普通が分からないまま生きている。こういう人は強い。悩まない。迷わない。そして人の話を聞かない。聞かないから信用もしない。信用しないから裏切られない。AMDで優勝した時に私の20年間を知る友人は皆口をそろえて私がKohの側に居続けたことを褒めてくれた。私の存在がKohにとって大きかったと褒めちぎってくれた。けれど当の本人であるKohは、「いずみはいつも俺に言うじゃないか、周りの人にもっと感謝しなくちゃダメだよって。だけど俺はそうは思わない。俺がここまでやれたのは誰のおかげとも思わない。俺が、俺自身がやったんだ。」 と言い切った。ハッキリクッキリ、スッパーン!と気持ちの良いくらいに言い切った。そこに私は居なかった。いや、確かにそうなんだけど、ちょっと、いやだいぶ淋しかった憶えがある。




20210212




まーそんなことはどーでもいいんだけど、12月に空輸で送ったものが今日届いたらしく、本当に大変な国で暮らしている友人を想うと絶望的に朝が弱い私すら一気に目が覚める朝になった。あなたの健康と安全を心から祈ってるよ。


















だーかーらー





もう分かったから!!!(笑)



20210119




笑いすぎてお腹痛い。今年こそは、おとぎ話の森に住む馬ちゃんと鹿ちゃんと一緒に働けますよーに!










shif custom.





ベラルーシからクリスマスギフトが届いた!!とってもびっくりした!!すごくすごくすっごーーーく嬉しい!!!有難う!!!



20201209





送り主の彼はshifu customのAレックス!出逢いは2016年のAMDでした。何度も書いているので割愛しますがチームスットコドッコイ(またの名をスーサイドカスタムズ)のドイツでのスットコぶりにより、そのときは親しくなれなかったのですが、これまた2018年のバードザルツフレンで開催されたカスタムバイクショウで再会を果たす事が出来た。



20201209


20201209


20201209



会場の中で友情を育んだAレックスとKoh. たくさんの質問を愛を込めて聞いてくれたAレックス。そして愛を込めて答えたKoh. オートバイ愛が溢れる素敵な時間を過ごしました。




20201209


20201209



会場はとても広くて大きくて、一階がカスタムバイクの並ぶ会場で地下にはステージや床屋さんや刺青屋さんなどのブースが並び二階はバーになっていて、その隣には歴代のチャンピオンバイクがずらりと展示してありました。その中でもひときわ輝く一台が。滅多に写真など撮らぬKohがカメラに収めていたその一台こそ、shif customが制作した名作THE MACHINEでした。




2018年に彼等が持ち込んだグズィも、もちろん素晴らしい結果となりました。


20201209


20201209


写真を撮られることが苦手なKohが、この笑顔。


このショウでKohのSPEED STERが優勝したのですが、ステージの下でKohを待つ私の許にひとりの美しい女性が胸に手を当てて近づいてきました。大きな一眼レフカメラを首からぶら下げていたので私はてっきりジャーナリストだと思ったの。彼女が胸に手を当てたまま「congratulations.」と言ってくれて、「有難うございます」と答えている時に、あー!yuri(shifのボス)のパートナーだ!と気が付いた。美しいバイクを創る人々は心も美しい。これほんと。

ショウも終わってバードザルツフレン最後の夜、私達は小さくて質素なレストランでささやかなお祝いをした。そしたら何と!隣のテーブルがyuri夫婦だった。私は勝手にただの偶然とは思えなかった。Kohはそういうスピリチュアル系のことは一切信じないからそういうことは言わなかったけど、「ほら、彼等もさ、贅沢なんてせずにドイツでも質素に過ごしてるんだよ。俺達と同じだ。海外のショウに出て浮かれてる奴なんていない。みんなそれだけ真剣に挑んでるんだよ」と言った。その通りだと思う。


20201209




私は恥ずかしながら彼等に出逢うまでベラルーシという国を知らなかった。彼等と出逢ってからベラルーシの悲しい歴史や苦労を知った。それからしばらくして政治的な混乱があり、日本の新聞やラジオでも毎日のようにベラルーシの名を耳にした。Aレックスからもメールで暴動の映像などが送られてきて胸が痛んだ。どうか彼等のやりたいこと、希望や夢が政治なんかに奪われませんように。心の底から祈りました。
そんな混乱の続く中、きっと生活も大変だろうに今日ギフトが突然届いた。よく無事に届いたと思う。泣けちゃうくらい嬉しかった。


20201209


20201209


20201209



彼等の魂の宿った名作たちがページをめくるごとにものすごい迫力で目と頭と心に飛び込んでくる。シャイで物静かな彼等のどこにこんなパワーが隠れているの?

大人になった今、環境も変われば友達の定義も変わる。長く逢えなくとも心が通じ合っていればそれは正真正銘の友情だと思える。またそれぞれがそれぞれに創ったカスタムバイクを見せ合いっこして、笑い合って、抱きしめ合える日がきますように。












t4motorcycles.







大大大好きなt4motorcyclesのSテファンとビューティフルワイフから写真が送られてきた!嬉しい!!



20201208




最初の出逢いは2018年のAMD. でもそのときは出場することに集中していたから(飛行機に載せてドイツへ送るときにはまだエンジンがかからない状態で、まさかの部品と工具を手荷物で持ち込んで会場で組み上げて駐車場でエンジンをかけて走らせ動画を撮りギリギリセーフでエントリーした、というとんでもないことをやっていたもんだから。AMDは走ってる動画を提出しないと失格なの)、t4の存在に気づかなかったんだけど、Sテファン夫婦はKohのことを憶えていてくれて、2019年のイタリアで開催されたMBEで私達を見つけてくれて声を掛けてくれたのが友情の始まりでした。スイスのジュネーブから参戦の彼等はフランス語しか話せなくて、日本語しか話せない私と片言の英語でぎこちない会話しか出来ない者同士、なんだか心通じ合うものがありました。


翌年のスタージスで、まさかの再会を果たした私達。バッファローチップの会場で目が合った途端、大声を上げて喜び興奮し抱き合いました。



20201208


20201208



私達はお互いの友人を紹介し合って、もっともっと仲良くなりました。類は友を呼ぶ、と言いますがそれは本当にその通りで、彼等の周りにいる人たちは皆気さくで威張らず格好つけず親切で、皆が尊敬し合って想い合って協力し合ってここに来ているのが伝わりました。その心意気が美しかった。



20201208


20201208



そして彼等は見事入賞しました。Kohも大きな2つの入賞を果たしましたが総合優勝は成らず。このときね、隣にいたSが空を見上げて「ぷうー!」と笑ってKohに、「なぜお前が勝てなかったか分かるか?それはお前が外国人だからだ」と言ったの。
ひえー!ここでそれ言っちゃう?と思ったけれど、そのときのSの表情がものすっごく悪くて笑えた。真相は不明だし、政治的なことはもうどっちでもいいんだけど、たしかに当時はトランプ政権で、スタージスの会場内でもトランプのブースがあって、日本じゃ考えられないけど会場にいる人の中にもトランプTシャツ着てたりトランプバッジ着けてる人もいっぱいいて、ショウの途中でアメリカの国家斉唱しながら胸に手を当てるシーンもあって、アメリカ人じゃない私達はどうしたらいいんだろ?ていう空気感も無きにしも非ず。ハーレーダビッドソン自体アメリカの文化でアメリカ人の誇りで、実際参加している人々の99%は白人で、そこにアジア人が混ざってると、ちょっと特殊な感じになるのは否めないし、現にトランプTシャツやバッジをつけている人を前にすると変な緊張をしちゃうのも事実。当然こっちがそんなふうに感じる必要なんてないんだけど、でもやっぱりそういう中で認められることは我々の目指すところでもあり、それが真の挑戦であると思うから、これからもKohやSテファンの挑戦は続くのだと思う。そう、私達はライバルでもあり、永遠の同士でもある。と言うことは友情も永遠なのであーる。



20201208



yeah,we can't wait to see you again!!





カウンター

プロフィール

suicideistoms

Author:suicideistoms
Welcome to Suicide Customs Blog

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

Top