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Suicide Customs inc

Category : Friend

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20220422




毎月届くAMD新聞の記事です。









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39' Knuckle head.





大好きなオシャレ番長が遊びに来てくれた。うっれしーーー!



20220411




おふたりの間には長い長い時間が流れたけれど、乗ってるバイクも変わらず、着てる洋服も変わらず、友情も変わらず、良い意味でなーんにも変わっていないおふたりが最高にかっこいいと思う。





20220411
















mike64287





あなたは今どこにいるの?空の上?それとも星になったの?初めて会ったのは2019年の8月バッファローチップでした。ラッツホールが終わったら撮影させてくれない?と声を掛けてくれて、そして私達は約束の時間に約束の場所へ向かいました。
あなたはその約束の時間よりも早めに、その約束した場所で待っててくれたよね。アメリカ人なのに(笑)
それからその道をどんどん奥へ案内してくれて、美しい森の中の美しいスタジオに私達を連れて行ってくれた。



mike




撮影の間、閑そうにしている私を誘ってくれて一緒に散歩したよね。英語のしゃべれない私に、ゆっくりと丁寧な言葉で優しく話してくれた。人生でこんなにも日焼けしたの初めて!すっごく痛いよー!と言ってたら、「これを塗るとスースーして痛みが和らぐよ!あげる!」と大きなクリームをプレゼントしてくれたね。日本に帰国してから、あなたを想い出すと幸せな気持ちになれるから、朝晩必ず通る階段の所に飾っておいたら腕が当たってクリームが一階に落下して破裂したんだよ。階段や廊下にクリームがベットリ飛び散って掃除するのが大変だった。写真に撮ったから今度逢ったときに見せて一緒に笑おうと思っていたのに。

撮影が終わって皆で話しているときにKohが、えーっとなんだったっけ?あれあれ!と私に聞くから、あーそれはあれだよ!あーそれはこれ!と答えてたら、「君は何でも知ってるね!Googleなの?」てひとりで爆笑しててそれから私のことをずっと「グーグー!」て呼んでたよね。その呼び名をKohが気に入ってて今でも時々私を呼ぶときに使ってるよ。



mike




自称パインコーン収集家の私に、「え?パインコーンを?なんで?うけるー!この山には拾いきれないほど落ちてるよ!」って大笑いしてたよね。とにかく私達はすごく仲良くなってすごく良い時間を一緒に過ごしたんだ。一年後には当然また逢えると疑わなかったし、日本に帰ってきてからも連絡を取り合ってたし、この友情はずっと続くと分かってたから、だから今年また逢えなくてもそんなにガッカリはしなかったんだ。だって来年になれば絶対に逢えると思ってたから。だから、だから突然、あなたが居なくなってしまったと聞いて今も目に涙が溜まるよ。
本当は英語で書かないとあなたが読めないかもしれないけど、私の英語はKoh曰く本当に酷い英語みたいだからGoogleの翻訳を使って読んでね。それとももう読めない?魂もどこかへ行ってしまったの?たぶんそうだよね。でも私はあなたに手紙を書くよ。あんなところにポツンと突然現れたアジア人の私達に愛と尊敬を持って友達になってくれて有難う。あなたを忘れない。あなたの優しさと面白さを忘れない。大好きだよ。





mike




Rest In Peace.







bill wall leather.







「イズミちゃんてさー、長生きしそうだよねー」 とある人から言われたことがある。気を遣いすぎて空回りしまくり話し込んだあとは疲れ果てて寝込むタイプの私は、「そーなんですよ~あはははは~~~」 といつものようにヘラヘラ と笑いながら答えました。


あれは15年前のこと、冗談抜きで一歩も歩けなくなったことがある。台車につかまりながら仕事を続けていたらそのうち片方の足がもう片方の足の二倍くらいに腫れ上がり近くの皮膚科に行った。「あ、これね、毒性の強い虫に刺されたね。この毒がね心臓まで行くとあなた死にます。すぐに大学病院へ行って。」と真顔で言われた。そんなこと言われても仕事を休む訳にはいかない。そのまま仕事に戻って次の日も仕事へ行った。だけどもう台車につかまっても歩けない。また同じ皮膚科へ行った。そしたら、「あなたもうじき死ぬよ?死にたいの?」と叱られて今度は仕事へ戻らずそのまま大学病院へ。駐車場まで自分で車を運転して到着したが、もはや何処につかまっても一歩も歩けなくなっていた。人間の体は不思議なもので片方の足が元気でも、もう片方がダメだと一歩も前進できなくなる。片足ケンケンで行けばいいじゃん!と頭では思うのだがそれが出来ない。一歩も歩けなくなった私は通りかかった年配のご夫婦に「すみません、歩けないので病院の入り口まで行けなくて困ってるんです。」と泣きそうになりながら助けを求めると優しいそのご夫婦はすぐに看護師さんに伝えてくれて私はそのまま車椅子に乗せられ即入院になりました。その日の夜、車椅子に乗る私をKohがお見舞いに来てくれて困った顔をして笑っていました。

それから二年もしないうちに今度は原因不明の病気になり何度も救急車で運ばれ入院しました。そしてまた車椅子生活に。何週間も入院していてもKohがお見舞いに来るのは最初の一回くらい。具合が悪くて何も食べられずガリガリに痩せて血圧が上70下30という看護師さんも驚く数値をたたき出す私に滋養をつけさせようと当時私が大好物だった陳健一直伝というホントかウソかよく分からない油でギットギトのマーボ豆腐を食べさせるために入院先の大学病院から連れ出してくれたのだが、当然のどを通らず。帰りの国道23号線を走るときに夜空に打ち上がる花火を見ながら、一方的な愛情が空振りに終わって不機嫌なKohと具合が悪すぎてフラフラな私は真っ暗闇の大学病院へと戻った。その後も別の病院へ手術の為に再入院。当日病院まで送ってくれたKohには感謝しかないが、仕事の電話がかかってきて、「んじゃ俺行くわ」と病院の入り口で荷物と一緒に置いていかれたことは今でも忘れられない。次の日手術室から出てきてもKohの姿はなかった。ベッドの上で両目の端っこから涙がツーツー真っ直ぐに流れ落ちて耳に入った。

それからも、よく分からない現象が私の体に起こった。そのたびにスーサイドの鉄の階段から落っこちてH鋼に顔面を強打、シザーハンズのジョニーデップのような顔になった。その後もまた落ちて両膝が群青色になるほど強打、突然意識が飛んでは引っくり返る、そして運ばれる。意識が朦朧としたまま点滴を打たれているとKohから電話が鳴り、「入り口が何処だか分からない。何処にいるんだよ?」とイライラされる。私も分からないよ、だって意識ないまま運ばれてきたんだもの。カーテンの向こう側では外国人が医者に「醤油を一気飲みしちゃいけないよ」と注意されている。私はもうこの醤油一気飲み外国人と自分との違いが分からなくなってきて、また両目の端っこから涙がツーツーこぼれて耳に入った。中耳炎になるほど大量の涙が耳に入ったけれど中耳炎にはならなかった。どうやら耳は丈夫らしい。そしてまた不機嫌なKohとスーサイドへ戻り、そして働いた。


そんなことを何年も繰り返していたら、だんだん字が読めなくなってきた。いや文字は読めるんだけど文章が理解できない。スーサイドの経理を任されているのに数字も分からなくなっていった。頭の中が混乱して文字と数字が理解できない。こんなことは生まれて初めてで驚いた。そして私はどんどん役に立たなくなっていった。そんなある年末、免許更新の為に平針試験場へ行った。免許更新の日は決まって献血をする私はいつものように献血するはずだったのに、その日は体重が足りず献血が出来なかった。医者や看護師さんたちが何度も私に謝ってくる。泣けてくるからもうほっといてほしかった。そーかー、私はとうとう私の血さえも役に立たなくなってしまったのかー。情けなくて車の中でいっぱい泣いた。そしてまたスーサイドへ戻り働いた。2019年の冬のことです。


もうこの頃になると働く時間よりもスーサイドの事務所で横になっている時間のほうが長かった。そんな私に満額の給料を払い続けるKohはうんざりして私に怒鳴る。「おまえが寝てるのを見るたびにどれだけ俺のモチベーションを下げているのか分かってるのかー!」 そのたびにまた涙が耳に入っていった。そんなことを繰り返していた私に、冒頭の「イズミちゃんてさー、長生きしそうだよねー」 であった。



20210213




そんなパッパララリパッパーな私が今はこんなに長ったらしい文章が書けるようになった。明けない夜はないさ~、というお話の続きはまた今度。











ベラルーシからこんにちは





「普通の生活をしていたら普通のものしか作れないんだよ」 とはKohの長年の常套句である。その言葉通りの生活を今も続ける45歳の冬、、、日本の冬って10年前はもっと寒くなかったでしたっけ?凍てつく工場の中、手の神経を全部持っていかれるほど冷え切った金属を切ったり伸ばしたりする作業の中で耳だけはどうしようもなくしもやけになっていたあの冬の寒さはどこへ?これが地球温暖化のせいだったとしたら、私は今世界中を恐怖と不自由に陥れている病原菌よりもずっとずっと怖いと思う。


話を戻しますが、普通の生活って何だろう?夕方になったら家族揃ってテレビ観ながらごはんを食べお風呂に入って眠るとか?日曜日には家族揃って大型モールでお買い物とか?せめてお父さんがいなくてもお母さんはいる、とか?そんな感じだろうか。だとしたらKohはちっちゃいときから全く普通の生活じゃなかった。蕎麦屋を営む家庭に生まれたKohは、早朝から深夜まで働く両親の代わりにばあちゃんの家に弟と一緒に預けられていた。寝たきりで動けないじいちゃんをつねったりつついたりして反射神経でビクッと動くおじいちゃんを見て、なーんだじーちゃん本当は動けるんじゃん!と喜んでいるような子どもだったらしい。聞いた時はサイテーだな、と思ったけれどもしかしたら独りぼっちで蚊帳の中でずーっと天井を見ながら寝たきりだったじいちゃんにとってKohにつねられたりつつかれたりして自分がビクッと動くたびに大笑いしてくれる孫との時間は楽しかったのかもしれないなーと思う。


少し大きくなってくると、もうばあちゃん家には行かなくなり両親の仕事が終わるまで弟と店の上にある住居でテレビを見たりしながら待つようになった。年末になると忘年会で店は団体さんのお客さんでごった返したらしい。両親は子どもの食事の準備よりもお客さんの食事を作ることに必死でKohと弟はいつも腹ペコだった。これだけ聞くと、なんて可哀想な子ども時代かと思うがそこはKohである。忘年会が終わった途端、さっきまでおっさん達がタバコの灰や唾を撒き散らしながら飲み食いしていた残飯を弟と一緒に、「おい!こっちにエビフライが丸々残ってるぞ!」「兄ちゃん!こっちには刺身があるー♪」とか言いながら食べまくるのが最高の幸せだったと言っていた。昭和の時代にはこれが普通だったのかもしれないが、いやでもやっぱりちょっと、いやだいぶ普通じゃないような気もする。少なくとも私は知らないおっさんの残した物を食べたことはない。



とにかくこんなふうに普通じゃなく育ったおかげで今でも普通が分からないまま生きている。こういう人は強い。悩まない。迷わない。そして人の話を聞かない。聞かないから信用もしない。信用しないから裏切られない。AMDで優勝した時に私の20年間を知る友人は皆口をそろえて私がKohの側に居続けたことを褒めてくれた。私の存在がKohにとって大きかったと褒めちぎってくれた。けれど当の本人であるKohは、「いずみはいつも俺に言うじゃないか、周りの人にもっと感謝しなくちゃダメだよって。だけど俺はそうは思わない。俺がここまでやれたのは誰のおかげとも思わない。俺が、俺自身がやったんだ。」 と言い切った。ハッキリクッキリ、スッパーン!と気持ちの良いくらいに言い切った。そこに私は居なかった。いや、確かにそうなんだけど、ちょっと、いやだいぶ淋しかった憶えがある。




20210212




まーそんなことはどーでもいいんだけど、12月に空輸で送ったものが今日届いたらしく、本当に大変な国で暮らしている友人を想うと絶望的に朝が弱い私すら一気に目が覚める朝になった。あなたの健康と安全を心から祈ってるよ。


















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